SOLEIL LEVANT’s blog

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愛宕神社

 


【山頂の神社】 愛宕神社への道のり : The way to Atago Shrine(Kyoto, Japan)

『火迺要慎』のお札でも有名な京都の愛宕神社までの道のりを撮影いたしました。急こう配の参道は想像以上に体力を消耗しました。

 

 

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https://jinjajin.jp/modules/contents/index.php?content_id=105

より

 

総本社   愛宕神社
所在地   (〒616-8458)京都府京都市右京区嵯峨愛宕町1
系列社   愛宕神社愛宕山神社 他
同系神社   秋葉神社秋葉山本宮秋葉神社上社
備考   愛宕神社の系列社は、全国に900社以上あるとされる。
・京の東を守護する比叡山に対し、西の守護として信仰を集める。

 

古事記名]    火之迦具土神(ヒノカグツチ
日本書紀名]   軻遇突智神カグツチ
[別名]   火産霊神ホムスビ)
[通称]   加具土命(カグツチ

 

 

愛宕神社の発展は、仏教との習合が大きく作用している。それは、愛宕山修験道の地として篤く信仰を受けた経緯からも説明でき、明治以前までは、愛宕神社ではなく、愛宕山白雲寺として、存在していたことからも伺える。そして、何より火防の性質が、全国共通の受けたいご利益として非常に高い位置を占めていたことも予想される。それは、日本の家屋が木造建築で、非常に燃えやすい上、竃(かまど)という火を多用する文化であったことから、火の恵みと怖さの両方を知った文化圏であったことが深く関係している。
 
(1) 修験道との習合
愛宕山は、京都の西方の守護、とりわけ京の火難除け、盗難除けの神として信仰され、また、修験道七高山の一つとされ、修験道の地として非常に栄えた。その後、愛宕権現が、火防の神として、愛宕修験によって、全国に信仰が広まっていった。かつては、「伊勢へ七たび 熊野へ三たび 愛宕まいりは月まいり」と呼びはやされていたという。
(2) 武家による信仰
本殿に祀られた将軍地蔵を本尊に祀ったことで、戦国時代には、武神としての側面でも武士にも浸透していった。
(3) 徳川家康の信仰
徳川家康が、江戸の守護のために、愛宕権現を信仰し、御分霊を勧請。それが、契機に、全国へ爆発的に広まっていった。

 

 

継体天皇元年
(512年)
  亀岡愛宕神社
京都府
  元々、山岳信仰から発生したものになるが、この年初めて初めて亀岡の地に社殿が建立される(現在の愛宕神社総本社とされるものとは別)。

奈良時代
(ーーー年)
  愛宕山
京都府
  修験道の開祖とされる役小角(えんのおづの)と泰澄(たいちょう)が、愛宕山で天狗に出会ったとされる(天狗の本拠地)。そして、朝日峰に神廟を創設し、愛宕山修験道として開山が促される(後に、天狗を愛宕太郎坊天狗として、奥の院、現在の若宮に祀っている)。

天応元年
(781年)
  愛宕神社
京都府
  光仁天皇の勅によって、和気清麻呂(わけのきよまろ)が、愛宕五坊(愛宕権現白雲寺・月輪寺神護寺・日輪寺・伝法寺)が建立する。そして、亀岡愛宕神社からご分霊をこの時、遷座したとされる。

保元元年
(1156年)
  春日大社
奈良県
  第76代近衛天皇が亡くなった後、当時、院政を敷いていた鳥羽法皇が、天皇の甥である重仁親王を擁立しようとしたところ、親王の父である崇徳上皇藤原頼長に命じて愛宕神社で呪詛を行わせて、天皇の呪い殺したという噂が広まり、法皇はこれに激怒、保元の乱が発生したとされる。

戦国時代
(ーーー年)
  愛宕神社
京都府
  本殿に将軍地蔵を本尊として祀り、火防せの神である愛宕権現と習合したことにより、武神としての側面が発現。戦国時代の武士に崇敬を集めるようになる。

天正10年
(1582年)
  愛宕神社
京都府
  明智光秀が戦勝祈願のため、愛宕神社に参拝。本能寺攻めをくじ引きで占う(3度の凶、4度目で吉)。

慶長8年
(1603年)
  愛宕神社
(東京都)
  徳川家康の命により、江戸に愛宕権現のご分霊が勧請される(将軍地蔵菩薩も同様に祀る)これにより愛宕信仰が全国に更に浸透(多くの神社が、東京の愛宕神社からご分霊を勧請している。そのため、東京の愛宕神社は、京都の総本社と同格の扱いを受ける)。

明治元年
1861年
  愛宕神社
(東京都)
  明治の神仏分離令によって、将軍地蔵菩薩は、大本山妙心寺勧進移座し、愛宕神社は、愛宕権現を火防の神として、カグツチ主祭神として、改めて祀る。

因に、延喜式神明帳には、阿多古神社という神社が記載されているが、その比定社には、亀岡愛宕神社と総本社の愛宕神社の両社に何れかとされるが、何れを指しているかはまだ確定出来ていない。