SOLEIL LEVANT’s blog

日出づる国 日本。宇宙のすべてが光り輝き、いつも良いことがありますように。

濱松神社

https://asiya.kasajizo.com/NewFiles/y_71hamamatujinjya.html

より

 

濱松神社

 

祭神 大国主命 菅原道真

昭和五十一年(一九七六)八月十六日柏原洞山の間を通って柏原山鹿貝塚の南側に上陸した大龍巻は田屋地区の家屋に大被害をあたえた。そのとき濱松神社の社殿はペシャンコに倒壊した。大きな松の木も擦(ねち)り切ったように倒れていた。今は区の人の協力によりコンクリートの社殿が新築されている。鳥居の壊れていたのも修復され、裏山は切り開いて児童公園になっている。

 

明治の末期ごろまであった日本社会の文化に、若衆制がある。普通若衆組、若者組、若連中などと呼ばれ、時に若衆宿、あるいは単に「やど」と呼ばれたりした。村落における若衆制はポリネシアメラネシアインドネシアなど太平洋諸島全円に広く存在しているもので、中国や朝鮮には存在しない。

 若衆制度に関する限り、日本列島は太平洋諸島の文化に属している。古代以来存在した。但し、農村漁村の村落に限られていた。

若衆組に加入(宿入り、組入り、若者入り)するのは、十五歳前後で、妻帯すると普通脱会する。加入の時は、村のオトナ制に属する人の紹介がいる。

加入には儀式があり、上席、若衆頭が着席し、左右世話役が座り、ついで年齢順に若衆たちが居並ぶ中で、様々な宣誓をする。加入すれば、夜は仲間と共に寝るのである。若衆制の方は祭礼における神輿振りなどを示す神事を受け持つほか、山火事などの消防、海難の救助、更には他の村との水争いなどの場合の、いわゆる軍事面を受け持っていた。その頭は若衆宿の運営に関する限り、ムラの長と対等の立場にあったという。

 あの西郷隆盛もこの組織を抑えることが出来ず、俺の体をくれてやろうと先頭に立つ意外に出来なかったと、作家・司馬遼太郎は「日本古来の文化、氏族制 」で代表されるという。

 若衆制は明治の後期になり、政府の思惑で扱いやすい青年団として組織を変えられていく。今では若連中などの若衆制は無い。司馬さんはこの若衆制の変化した組織が現代の学生運動であり連合赤軍は最たる変化形として現れた姿なのではないか。とも言っている。

 

 

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鳥居(濱松神社)-昭和十年(一九三五)一月

 

 

 

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昭和五十一年(一九七六)八月十六日柏原洞山の間を
通って柏原山鹿貝塚の南側に上陸した大龍巻にもめげず、
立派な本殿が立っている。