SOLEIL LEVANT’s blog

日出づる国 日本。宇宙のすべてが光り輝き、いつも良いことがありますように。

竹野神社、斎宮神社、丹後王国、神明山古墳、

 


元伊勢を訪ねて 京丹後市 竹野神社・斎宮神社

悠久の時を刻む大社と手にしているパンフレットに書かれています。訪れてまったく同じような感想です。パンフを手にして二の鳥居から撮影していたのに気がつき一の鳥居は鬼退治の伝説の有る「立岩」のところかと知り 立岩そして竹野川沿いに在る一の鳥居から撮影を始めました。

 

 


神明山古墳 竹野神社 斎宮神社隣接

竹野神社 斎宮神社隣接 古墳で この界隈にある古墳は、 日本海側で最大級のものになります。 現在は普通に登れますので、ピクニックがてらも良いかもしれませんね。 眺めは抜群です

日本海側の3大古墳ですが 網野銚子山古墳 京丹後市網野町網野  蛭子山1号墳 与謝郡与謝野町加悦・明石  にあります。 方墳からは経筒・銅鏡出たらしいですが、円墳部の本格的な発掘はしてないそうです

 

 

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神明山古墳と丹後古代の里資料館

丹後国は「たにわのみちのしリのくに」と呼ばれ、和銅6年(713)に丹波国から分かれてできた国です。
分国以前の丹波国は、現在の京都府亀岡市以北全域と兵庫県の氷上臥多紀都を範囲とする広大な国でした。
そして丹波国の中心は、この丹後にありました。


このことは、丹後の弥生時代の卓越した遺跡や丹後三大古墳の存在などとともに、古事記日本書紀の記事から裏付けられています。
古代のある時期、丹後には「丹後王国」が存在したのです。

 

 

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【邪馬台国の場所】投馬国(5):辺境の地 丹後王国。投馬国・丹後の概要です。丹後半島からは、弥生時代から奈良時代までの個性的な遺跡が多く出土しています。投馬国の中心地だった可能性があります。

邪馬台国から投馬国へ至るまでの地域を調査しています。 若狭の国を通過すると、投馬国の入口(現在の京都府舞鶴市)に至ります。ここは、飛鳥時代の行政区分では、丹後の国に当たります。  

丹後は、現代では辺境の地ですが、弥生時代後期の「鉄とガラス」の出土が多い先進地域です。高志の国の「鉄と翡翠」と似通った特徴があります。  豊富な鉄や玉類を副葬品に持つ墳丘墓群は、北部九州や畿内地域よりもむしろ、日本海沿岸地域の方が、強力な存在だった事が窺えます。  

非常に魅力的な遺跡群がある丹後ですが、邪馬台国論争では注目されていない場所です。  今回は、投馬国・丹後の概要です。