SOLEIL LEVANT’s blog

日出づる国 日本。宇宙のすべてが光り輝き、いつも良いことがありますように。

上野東照宮、湯島天神(湯島天満宮)、おふだ、御守

上野東照宮

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上野東照宮は1627年創建の東京都台東区上野公園に鎮座する神社です。 東照宮とは徳川家康公(東照大権現)を神様としてお祀りする神社で、日光や久能山の他、全国に数多くございます。

現存する社殿は1651年(慶安4年)に三代将軍・徳川家光公が造営替えをしたもので、遠く日光までお参りに行くことができない江戸の人々のために日光東照宮に準じた豪華な社殿を建立したと言われています。

江戸時代と比べ境内地は縮小されましたが、江戸初期に建立された社殿が数々の困難を乗り越え現存することは奇跡的で、強運な神君の御遺徳の賜物と言われています。

御祭神:徳川家康公 徳川吉宗公 徳川慶喜

http://www.uenotoshogu.com/about/

 

上野東照宮 じゃらん

https://www.jalan.net/kankou/spt_13106ag2130012504/?partsScreenId=OUW3121&ccnt=kankou_rec_same_category

上野駅から徒歩で10分

 


2020 上野東照宮の桜(4K) Cherry Blossoms At Ueno Tohsho-Gu Shrine(UHD)

 

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湯島天神湯島天満宮

http://www.yushimatenjin.or.jp/pc/index.htm

御祭神
 天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)
 菅原道真公(すがわらみちざねこう)

 

天神信仰とは、神さまとして崇められた菅原道真公の神霊に対する信仰をいいます。本来は、天神とはは地神(くにつかみ)に対する「あまつかみ」で、特定の神さまをさすものではありませんでしたが、菅原道真公が火雷天神と称され、雷神信仰と結びついたり、「天満大自在天神」の神号を賜わったことにより、菅公の神霊への信仰を、天神信仰と一般的に呼ぶようになりました。

 菅公が、藤原時平の讒言により左遷された大宰府で亡くなった後、京都では、藤原時平を助けて菅公の左遷に努めたといわれる藤原菅根が落雷によって死去し、さらに日蝕地震・彗星、落雷などの天変地異、干ばつ、洪水などの災害等による農作物の被害をはじめ、疫病などが次々に起きて、世の人々は不安になりました。
 延長八年(930)には、宮中の清涼殿で雨乞いの協議をしているときに、にわかに黒雲がわいて落雷し、藤原清貫は死亡し、平希世は負傷するという事が起りました。その当時は、怨霊に対する御霊信仰雷神信仰が盛んであったので、菅公の怨霊の仕業ではないかとのうわさが広まりました。

 菅公の怒りが雷の形で現れると信じた人々の信仰は、藤原氏をはじめとする都の貴族たちには恐怖と畏怖の念でとらえられましたが、一般農民には水田耕作に必要な雨と水をもたらす雷神(天神)として、稲の実りを授ける神、めぐみの神となって、広く全国に崇敬されていったのです。

 やがて、道真公の学問に対する偉大な事績やその人柄から、天神信仰は文道の大祖、文学・詩歌・書道・芸能の神、あるいは慈悲の神として崇められるようになりました。
そして、その天神信仰を中心に各地に天神講などが普及して、全国の津々浦々に、天神さま、天満宮として建立され、今の世に、学問の神・誠心の神として崇拝されています。

 道真公は天穂日命の末、野見宿禰を祖とし、御父は菅原是善公、御母伴氏は神代以来の名門大伴家の出であります。承和十二年(845)御誕生になり、五才の時、庭前の梅花を見て、和歌を詠じ、十一才にして「月夜見梅花」の詩を作られました。
三十三才で文章博士となり、四十二才の時讃岐守として四国に赴任、農耕・畜産に尽力されました。その政治力を認められて宇多天皇の信任を得、しだいに重用されて、位階も昇進の一途をたどり、寛平九年(897)に醍醐天皇が即位されましたが、道真公はいよいよ信任あつく、昌泰二年(899)、左大臣藤原時平と並んで右大臣兼右近衛大将に任ぜられ(御歳五十五歳)、ついで同四年正月には従二位に叙せられるに至りました。しかし、時平の中傷によって太宰権帥に左遷されました。
配所での道真公は、門を閉ざして出でず、ひたすら謹慎の意を表されておりましたが、延喜三年(903)二月二十五日、ついに薨去されました。御年五十九歳。配所でお詠みになった「去年今夜侍清涼」の詩は、とくに広く愛誦されています。
道真公は、以上記したように、たいへん詩文に長じたお方でありました。御著の詩文集に「菅家文草」「菅家後集」があるほか、「三代実録」「類聚国史」「新撰万葉集」などの編著にも当たられております。世に菅公・菅丞相とも呼ばれ、後世、学問の神さまといえば道真公をさすようになりました。

天神信仰の中でも、天神さまと牛とは切っても切れないものがあり、古くより様々な縁起・伝承を見ることが出来ます。
道真公は承和十二年六月二十五日乙丑の年に、ご生誕になり、延喜三年二月二十五日の丑の日に薨ぜられ、また「菅家聖廟略伝」には、菅公自ら遺言をされ、「自分の遺骸を牛にのせて人にひかせずに、その牛の行くところにとどめよ」とあり、その牛は、黙々と東に歩いて安楽寺四堂のほとりで動かなくなり、そこを御墓所と定めた、と書かれています。
ほかにも、天神さまと牛との関わりについて数多く見られ、道真公がいかに深く牛を慈しんでいたかも窺われます。
このようなことから当神社の境内には石造りの臥牛があり、牛の角をなでていく方、手を合わせていく方、鼻が悪いといって鼻をなで、足が悪いのでと足をなでていく方、・・・・・と多くの方々から「撫でうし」として信仰されています。

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湯島天神

 

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おふだのおまつり

http://s-toshogu.jp/service/ohuda/

”おふだ”とはご家庭や会社の繁栄と幸せを祈願しておまつりするものです。お守りは身につけている個人のものでありますが、おふだはおまつりをしている場所で生活やお仕事をされている皆様のものです。

目線よりも高く、ご家族の方が集まるような所におまつりください。文字の書いてある面が「東」もしくは「南」を向くようにおまつりいたします。タンスや本棚の上などをきれいに整えておまつりしていただいてかまいません。

お供え物の代表的なものはお米、お塩、お水です。できれば毎日お取り替えしましょう。

1年間おまつりしたら新しいおふだと交換します。

 

 

御守

http://s-toshogu.jp/service/omamori/

古来日本人は様々な災難から身を守るため、神さまの御霊をおうつししたおふだをご家庭におまつりし、御守を肌身に持ち生活してきました。東照宮のおふだと御守は全て神職がお祓いとご祈願を行っております。

 

 

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上野東照宮、五条天満社、大黒堂に参拝しました

https://soleillevant.hateblo.jp/entry/2020/08/16/070440