光明皇后

光明皇后

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神亀5年(728年)、皇太子に立てられた基王が夭折したため後継を争って長屋王の変が起こるなど紛糾した。長屋王の変後、天平元年(729年)に皇后にするとの詔が発せられた。これは王族以外から立后された初例である。以後、藤原氏の子女が皇后になる先例となった。

天平勝宝8年(756年)、夫の聖武太上天皇崩御。その2年後には「天平応真仁正皇太后」の尊号が贈られた。

天平宝字4年(760年)に崩御、佐保山東陵に葬られた。

 

光明皇后は仏教に篤く帰依し、東大寺国分寺の設立を夫に進言したと伝えられる。また貧しい人に施しをするための施設「悲田院」、医療施設である「施薬院」を設置して慈善を行った。夫の死後四十九日に遺品などを東大寺に寄進、その宝物を収めるために正倉院が創設された。さらに、興福寺法華寺、新薬師寺など多くの寺院の創建や整備に関わった。

 

 

 

 


奈良 第45代 聖武天皇陵 光明皇后稜 Tomb of the emperor who built the Great Buddha