SOLEIL LEVANT’s blog

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日本武尊(やまとたけるのみこと)

https://dot.asahi.com/dot/2020101500071.html?page=1

より

 

日本武尊(やまとたけるのみこと)

西暦100年ごろ生きた人物で、父は第12代・景行天皇、息子が第14代・仲哀天皇であることから本来ならば天皇となるべき皇統だったことがわかる。古事記日本書紀などで日本武尊の活躍はいくつも紹介されているが、その武勇のためか悲哀を含んだ逸話のためか、永く人々からの人気を集め、全国各地さまざまな場所で祭られている。

武蔵国の名の由縁は

 11月になると関東で熊手が売られる人気のお酉(とり)さまは、日本武尊にちなんだ神社で行われる行事であるし、東と書いて吾妻(あずま)と読んだり、焼津や袖ケ浦などの地名の由来にも日本武尊伝説が関わっていたりする。極め付きは、江戸名所図会の巻頭で紹介されている「武蔵国」という地名の由縁についてである。図会いわく「日本武尊が東征の折、武具を秩父岩倉山に収めた。これが武蔵國号のいわれなり」と。実際にはこの話は俗説として扱われているが、江戸で人気の観光案内書にこのように紹介されるほど日本武尊は知られた人だったということなのだろう。

●神社の歴史は都市の歴史

 飛鳥時代に「武蔵国」の国土は定められ江戸時代まで続く律令国となるわけだが、歴史的に見るとそれ以前にあった无邪志(むさし)国と知々夫(ちちぶ)国の国を合わせて出来上がったと考えられている(あるいはもう1つあった可能性も)。全国に令制を敷いた折、“国名を2文字で”という通達が出たため、无邪志を武蔵という漢字に変えたのだという。この頃、武蔵国の中心は現在の埼玉や奥多摩多摩川付近で、その証左として2000年近く前に祭られた武蔵国の神社のほとんどがこの付近にしか存在しない。

 

中でも秩父には日本武尊伝説が色濃く残り、秩父神社とともに秩父三社と呼ばれる三峯神社寳登山神社の創建に日本武尊は深く関わっている。加えて、この土地では日本武尊を助けた神獣として犬(オオカミ/大神)があがめられており、日本武尊が創建したと伝わる三峯神社には「大口真神(御犬神)」がおられ、この御利益で今なお「どろぼう除け札」が人気を集めている。

 

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浅草鷲(おおとり)神社

https://otorisama.or.jp/ 公式HP

天日鷲命(あめのひわしのみこと)日本武尊(やまとたけるのみこと)をお祀りした由緒正しい神社です。現在は「おとりさま」として一般にも親しまれ崇敬を集めており、また十一月の例祭も現在は「酉の市(とりのいち)」として広く知られています。

社伝によると天照大御神が天之岩戸にお隠れになり、天宇受売命が、岩戸の前で舞われた折、弦(げん)という楽器を司った神様がおられ、天手力男命が天之岩戸をお開きになった時、その弦の先に鷲がとまったので、神様達は世を明るくする瑞象を現した鳥だとお喜びになり、以後、この神様は鷲の一字を入れて鷲大明神、天日鷲命と称される様になりました。
天日鷲命は、諸国の土地を開き、開運、、殖産、商賣繁昌に御神徳の高い神様としてこの地にお祀りされました。

後に日本武尊が東夷征討の際、社に立ち寄られ戦勝を祈願し、志を遂げての帰途、社前の松に武具の「熊手」をかけて勝ち戦を祝い、お礼参りをされました。その日が十一月酉の日であったので、この日を鷲神社例祭日と定めたのが酉の祭、「酉の市」です。この故事により日本武尊が併せ祭られ、御祭神の一柱となりました。

江戸時代から鷲神社は、「鳥の社(とりのやしろ)」、また「御鳥(おとり)」といわれており、現在も鷲神社は「おとりさま」と一般に親しまれ崇敬を集めています。十一月の例祭も現在は「酉の市」と広く知られていますが、正しくは「酉の祭(トリノマチ)」と呼ばれた神祭の日です。

https://otorisama.or.jp/yuisyo.html


【お百度参り21度目】浅草鷲(おおとり)神社。浅草酉の市、今年はサプライズ開催

 


【4K】浅草 鷲神社・「酉の市」熊手(2019年11月8日)