「星界報告」③

p69~

木星の肥沃な大地にはおびただしい人間が平和に暮らしていた

あらゆる地球の霊たちは各自の地球の近傍にいる。なぜなら彼らはその地球の居住者だからである。人間は誰であれ死後ひとりの霊となる。彼らは自分たちの地球の居住者たちと類似した性質を有しているため、その居住者たちと共存し、この者たちに仕えることができる。

 

天使たちは私(著者)に次のように名言した。

「あなたの地球の太古の人びとも同じように暮らしていたのです。つまり彼らは民族、氏族、家族に分かれ、その頃は自分自身の所有物で満足していました。他人のものを取って自分を富ませ、自己愛から主権を握る人間のことなどはまったく知られていませんでした。このために、古代、特に太古の時代は、それに続く時代よりも主に受け入れられました。世界はこうした状態でしたから、当時は無垢もゆき渡り、それと共に智慧もゆき渡っていました。誰もが善から善を、正義から正義を行なっていたのです。」

それゆえ天使たちは、当時人びとと言葉を交わし、形体的なものとほとんど結ばれていない人びとの心を天界へと連れ去ることができた。それどころか、人々を天界のほうぼうへと導いて、そこにある壮麗で祝福されたものを見させ、彼らにその幸福と歓喜を伝えることができたのである。

こうした時代はまた古代の著述家たちに知られており、彼らによって黄金時代ともサートゥルヌスの時代とも呼ばれた。(サートゥルヌス神殿 - Wikipedia

当時人びとは民族に分かれ、民族は氏族に、氏族は家族に分かれ、家族はみな家族だけで他から離れて暮らし、他人の遺産を侵害して富や権力を得ようとは誰も思いもしなかったということである。自己愛や世俗愛は当時まったく遠ざけられ、誰もがみずからのものを喜んで、他人の善いものもまた喜んだのである。

しかし後代になって、主権や大きな財産を求める欲望が心に侵入したとき、この光景は一変した。そのとき人類は、自己防衛のために集まって王国や帝国を建設した。また、心に刻まれた仁愛や良心の法が行なわれなくなったため、暴力を抑制する法律の制定が必要となった。その法律では名誉と利得が報酬となり、これらの剥奪となった。

世界の状態がこのように変わってしまったとき、天界は人間から遠ざかり、それがますますはなはだしくなって、天界や地獄が存在するかどうかがもはや知られない、いやそれらの存在を否定する者さえいる時代に至ったのである。

 

木星の霊たちは、

「私たちのあいだで何かちょっとした不一致が生じるときは、稲妻の光に似た、またはキラキラ光りながら移動する星を取り巻く小さな帯状のものに似た、一種のかすかに輝く放射状の光が現れます。でも、私たちのあいだの不一致はみなすぐに調整されます」と言った。

移動すると同時にキラキラ光る星は、誤ったものを意味する。しかしキラキラ光っていても動かない星は、真のものを意味する。したがって前者は不一致を意味する。

 

木星の霊たちが居あわせたことを、私(著者)は彼らの接近や流入の穏やかさと優しさとから区別できた。それのみか、彼らの流入の大半が顔面に注がれ、彼らが居あわせるあいだずっと顔面を晴れやかで陽気にさせたことからも区別できた。彼らは、

「私たちは、自分たちの地球の居住者たちのところへ行くとき、彼らに心の静謐(せいひつ)と喜びを吹き込もうと望んでいるので、彼らにも同じような陽気な表情を伝えます」

と語った。彼らが私に吹き込んだその静謐と喜びは、はっきりと目立つほど私の胸と心に満ちて来た。それと同時に、心労や不快を引き起こしてさまざまな動揺に陥れる、将来のことに関する期待や不安が取り除かれたのである。このことから、木星の居住者たちの生命の本性や性質が私に明らかになった。どんな地球の居住者の気質も、そこ出身の霊たちによって知ることができる。誰であれ死後もその者自身の生活を保護し、霊になってもその生活を送るからである。

 

その顔は私たちの地球の人間の顔のように端正で美しく、そこから誠意と慎み深さとが輝き出ていた。

「顔は身体ではありません。なぜかと言いますと、私たちは顔をとおして見、聞き、話し、また心の思いを明らかにするからです。このように心は顔をとおして透けて見えるため、私たちは形を取った心の思いとして顔の表情を作り出すのです。また私たちは、この世の生活のあとではもっと賢くなることを知っています」

 

かの地球の居住者たちは、太陽の熱から注意深く保護している。彼らは青みを帯びた樹皮製の覆いを持っており、それを頭に巻き付けて顔を覆っている。

木星の霊たちは、私(著者)の目をとおして見た私たちの地球の人間の顔に関して、

「それは美しくありませんね。彼らの美しさは外面の皮ふにあって、内部の織維にはありません」

 

唇のまわりが高くなった顔が微笑をたたえているのは、彼らの話し言葉の大半が顔によって、特に唇のまわりの部位によって伝えられるからである。そのため彼らはけっして偽らない。つまり、考えていることとちがったことをけっして話さない。また彼らは、顔を緊張させないで自由に表情を作っている。子供のときから偽ることを身につけている者はそうではない。彼らの顔は何らかの思いが表出しないかと恐れて内側で緊張している。その顔はまた外側でも自由に表情を作らないで、ずるい暗示のとおりの表情を作ろうと身構えている。

「人間は当時、天使たちと思いや情愛の交流を保っていました。顔が語ると、あるいは心が顔をとおして語ると、それは究極的な自然的な形態を取った、人間の天使的な言葉になりますが、口が語によって語ると、そうはなりません」

 

「私たちは味ではなく栄養を中心に考えて食べ物を準備します。そして私たちは、栄養のある食べ物がおいしいのです」

 

「あなたの地球の霊たちはずる賢く、悪をたくらむことに敏捷(びんしょう)で器用ですが、何が善いことであるかについてはほとんど知っていませんし、考えてもいません」

 

木星の居住者たちは人生に起こるあらゆることを、よく、正しく考えることが知恵だと思っている。この知恵を彼らは幼時より両親から得て、これは子孫に代々受け継がれる。知恵が両親のものであるという理由で、これにたいして彼らが持つ愛によって知恵は増大してゆく。私たちの地球にあるような学問を彼らは何も知らないし、知ろうとも願っていない。彼らはこれを陰(かげ)と呼び、太陽を隠す雲にたとえる。

私たちの地球の霊たちは、ただ記憶にしか属さないもの、たとえば言語(特にヘブル語、ギリシャ語、ラテン語)、文学界で知られる知識、批判、ただの実験、学術用語(特に哲学的な学術用語)、その他の同類のものを知恵と見なし、これらを知恵に至るたんなる手段として使わないで、これら自体が知恵だと考えた者たちであった。

このような人びとは、知恵に至る手段としての学問によって自分の合理的な能力を開発しなかったので、他生ではほとんど認識力を持っていない。

 

霊的な”スフィア”(発散する気体、気流)と呼んでもよい、あらゆる霊から不断に流れ出る、いや、あふれ出てさえいる”スフィア”が存在する。この”スフィア”は、情愛と、情愛から発する思考との活動から、従って生命そのものの活動から流れ出る。他生における交流はすべてこの”スフィア”に従って規定される。一致したものはその一致に従って共に 結びつき、不一致のものはその不一致に従って互いに分離する。

木星出身の霊や天使は、”宇宙的人間”の中で、”思考に属する創造力”に関係する。つまり内部の活動的な状態に関係する。しかし私たちの地球の霊は、肉体の外部のさまざまな機能に関係し、これらの機能が支配権を握ると、内部からの思考の活動、つまり思考に属する想像力が流れ入ることができなくなる。

 

一つのはげ頭が現れた。しかしはげているとはいえ、頭の天辺だけであった。すると、「一年以内に死ぬ者たちは、このようなものを見て、死に備えます」と天界から言われた。

彼らは、配偶者、子供、両親から去ってゆくという理由でしか死を恐れない。彼らは、死後も生き、天界へ入ってゆくゆえ、生命を失うのではないことを知っているからである。それゆえ彼らは、死を死と呼ばず、”天界のものとされること”と呼んでいる。

かの地球上で真の結婚の愛に生き、親にふさわしく子供たちを大切にした者たちは、病気で死ぬことはなく、眠るように静かに死に、この世から天界へと移住する。木星の人間の寿命は、私たちの地球の年数に換算して、通常は三十年である。

 

 

f:id:SOLEILLEVANT:20201121140419j:plain

スウェーデンボルグの星界報告 | エマヌエル・スウェーデンボルグ, 高橋和夫, 高橋和夫 |本 | 通販 | Amazon