竹島

竹島(たけしま)は、日本海の南西部韓国の鬱稜島と日本の隠岐の間に位置する島嶼群で、急峻な地形をなす2つの島と周辺の岩礁からなる。日本、韓国および北朝鮮がそれぞれ領有権を主張している。以前は人の住めない無人島であったが、現在は韓国の武装警察が常駐し実効支配を強化している

 

竹島は、日本において幕末以前は「松島」と呼ばれ、鬱陵島が「竹島」と呼ばれていた。幕末から明治中期にかけて西洋の地図の流入による島名の混乱があったが、1905年(明治38年)現在の竹島を正式に島根県編入した時より「竹島」と呼んでいる。

 

韓国・北朝鮮での名称
詳細は「于山島」、「石島 (韓国)」、および「独島」を参照

 

他の国では、中立的立場から「リアンクール岩礁(Liancourt Rocks)」などと呼ばれている。この名称は、1849年にヨーロッパで始めてこの島を発見したフランスの捕鯨船 Liancourt 号の船名にちなんでいる。

 

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江戸時代の竹島は、江戸幕府公認の下で鬱陵島に渡る際の航行の目標ないし停泊地として利用されており、寛文5年以降は幕府の許可を得てアワビなどの好漁場としても活用していた。


日本による竹島の明確な実効支配は、1903年隠岐島西郷町出身の中井養三郎が竹島に漁舎を建てて移住し、ここに人夫を移して、アシカやアワビ、ナマコやワカメの漁獲を始めたことを端緒とする。1904年9月29日、アシカの絶滅を危惧した中井は申請書「りゃんこ島領土編入並に貸下願」を日本政府に提出し、日本海の孤島・竹島の領土編入と貸下げを内務省、外務省、農商務省の3省に対し、願い出た。

朝鮮の文献等を調査した上で無主地であることを確認した日本政府は、1905年1月28日竹島島根県隠岐島庁へ編入する閣議決定し、内務大臣芳川顕正が「内務大臣訓令」として告示を発布した。これにより、竹島は正式に日本の領土となり、実効支配がここに始まった。

中井養三郎は、島を調査し、その特徴を説明し、また、自身の調査によれば誰にも所有されたことがなく、それゆえ今後はおおいに活用していきたい旨を申請書に記している。告示は、一次一級史料としては「北緯37度9分30秒、東経131度55分にある無人島」と経緯度による位置と現況が明示されたものであった。

当時の島根県知事松永武吉はこれを受けて同年2月22日「島根県庶十一号」を発し、県に編入した[23]。以降、竹島での漁猟は島根県の許可制となった[21]。なお、島根県制定の「竹島の日」はこの「島根県庶十一号」を発した日にちなんでいる[22]。

これについては島根県告示のみで、国家として国際社会に伝わるような手続きをしていなかったが、告示内容の外国への通告は領土取得の絶対要件とは必ずしも考えられていない[24][注 5]。

アシカは動物園やサーカス団などに高値で売れた[25]。1905年には島根県知事による視察、1906年3月の県部長らの調査、1905年5月の官有地としての土地台帳への記載がなされ、1905年4月の県令によるアシカ漁の許可制、同年6月5日の中井ら4名に対する免許、さらに免許者からの土地使用料国庫納入がなされた[24]。1905年、日本海海戦に際してコンクリート製の監視所がつくられたといわれている[25]。

竹島での日本人の経済的な営みを記した記録に『竹島日誌』がある[25]。これは、隠岐五箇村の収入役であった八幡才太郎が60余年、ほぼ毎日書き綴った記録である[25]。この記録によれば、才太郎の弟の伊三郎はアワビの密集する瀬やワカメの生息地などを熟知しており、詳細な手書き地図を残している[25]。竹島のアワビについては、以下のような記録がある[25]。

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漁業者としては、日本人だけでなく鬱陵島から出稼ぎにきた朝鮮人(当時朝鮮半島は日本統治下であった)の海女のすがたもあった[25]1935年の記録には給与150円とあり、男たちへの報酬が100円であったことを考慮すれば、かなりの高給であり、彼女たちの技量は高く評価されていたことがうかがえる[25]

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現在、竹島は韓国によって実効支配されている、とされる[28]。「実効支配」とは「主権が行使されている状態」のことであり、その点では確かに韓国が竹島を実効支配していることになるが、国際法上は「領域主権が継続的かつ平穏に表示されている」という意味での実効支配が重視される[28]。したがって、継続的ないし適時に日本からの抗議がなされている竹島については「平穏」の条件を満たしておらず、そのような「事実上の占拠」や「事実上の支配」は「実効支配」とは呼ばないことがある[28]。

 

現在、韓国による実効支配が続いており、韓国政府は竹島を、海洋警察庁を傘下に持つ大韓民国海洋水産部の管理下に置き、軍に準ずる装備を持つ韓国国家警察慶北警察庁朝鮮語版)独島警備隊の武装警察官40名と、灯台管理のため海洋水産部職員3名を常駐させ、軍事要塞化を進めている。また韓国海軍や海洋警察庁が、その領海海域を常時武装監視し、日本側の接近を厳重に警戒している。そのため、日本の海上保安庁の船舶や漁船はこの島の領海内には入れない状態が続いており、日本政府の再三の抗議にもかかわらず、灯台ヘリポート[29][30][31]、レーダー、船舶の接岸場、警備隊宿舎などを設置している。西島には竹島(独島)の韓国領有を主張する漁民2人が宿舎を建設し居住している。

 

すでに建設された主な施設

東島・・・警備隊宿舎、灯台ヘリポート、気象観測台、船舶接岸施設、送受信塔、レーダー
西島・・・漁民宿舎

1991年からは、キム・ソンド(朝鮮語版)(朝: 김성도)、キム・シンヨル(朝: 김신열)夫婦の居住を認め、住所を独島里山20番地としている[32]。2005年4月には、韓国人の結婚式が竹島で初めて執り行われた他、独島防衛として992名の韓国人が竹島に戸籍を置いている。

2014年11月、韓国政府は竹島に計画していた災害時などの避難施設の建設を中止し入札公告を取り消したが、報道では関係閣僚会議で尹炳世外相が「(安倍政権を)刺激しかねない。日本との外交摩擦を避けるべきだ」との意見を出し中止が決まったという[33]。韓国の尹炳世外相は国会答弁で建設予定だった施設の入札を中止したことに関し、「独島は明白なわが国領土であり、日本がいかなる行動を取ろうと、われわれのやり方で領有権の行使を行えばよい」と述べ、外交的配慮によるものではないと強調している[34]。

 

第二次世界大戦後、日本は1951年9月のサンフランシスコ条約(1952年4月発効)で朝鮮半島などを放棄したが、放棄した島に竹島は含まれていなかった。韓国はサンフランシスコ条約が発効する直前の1952年1月、アメリカが発効まで一時的に日本の施政権範囲を設定していたマッカーサー・ラインに倣い、一方的に李承晩ラインを設定し竹島を韓国側水域に含めた。翌1953年4月に独島義勇守備隊と名乗る民兵組織が常駐して以来、韓国は竹島実効支配を行いこれを強化している。日本は現在まで抗議を続けているが[44]、韓国側は領土問題は存在しないとして応じていない[45]

 

竹島を取り巻く海洋汚染については深刻な懸念がある。島に設置された下水処理システムは機能不全に陥っており、韓国沿岸警備隊灯台駐在スタッフなど竹島住民によって生み出されたし尿も含む下水が直接海に投棄され、重大な水質汚濁が確認されている。海水は乳白色に染まり、海洋の植生は次第に消滅し、サンゴが死滅して珊瑚礁石灰化が広がっている[48]。水の汚れはまた、周辺海域の生物多様性の損壊を招いている。 2004年11月には、異臭を発する1日8トンもの汚泥を連日日本海に投棄されていたことが報道された[48]

 

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 竹島 - Wikipedia   より一部

 

 

 

 

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